一歩踏みだす。足が黒い毛のかたまりに触れた。
ふわりとした柔らかい毛のひと触れに、このうえない温かみをおぼえる。
薄暗がりにも輝く愛らしい瞳で李娘を見あげている。むく犬の黒耳。
目の前の大事も忘れて、李娘は軽くほほえむ。
頼りはこの細身の剣とおまえだけだ。胸中でつぶやく。
いとしいむく犬を抱きあげてやりたい衝動に駆られるが抑える。
思いが伝わったのか、まっ黒な犬は体を李娘にすり寄せてくる。
触れてくる毛の柔らかさとぬくもりが心地よくて、心が安らいだ。
だが、視線をさだめて、ふたたび洞口に注意を向ける。ときは満ちた。
(「李娘」より)
見よ! 佳人が覚悟をもって
戦う姿はこんなにも美しい──
『そえぶし 添田健一武侠志怪小説集』
著者:添田健一
表紙:松下利亜
編集:秋山真琴
発行:雲上回廊
頒布:第二十三回「文学フリマ東京」E-03,04 雲上回廊
日程:2016年11月23日(水祝)
価格:500円
判型:A6(文庫本)
頁数:108ページ
部数:100部
わたしは愛馬の真珠の鞍におさまりつつ、しめやかな息を吐く。白い気が立ち昇る。わずかに心がざわめいている。外套の前を直し、母のほどこしてくれたわたしの名と同じ花の刺繍に指先をなぞらえる。わずかに心が落ちついた。金陵の城郭を見やり、わたしが生を享けたときにはもう亡くなっていた父のことを思った。
すでにわれわれ、宋軍の手によって、金陵の城内には多くの間諜や細作が放たれており、城内の将校や兵、城市のひとびとの多くには内応の手続きをとっている。まもなくの三点鐘が鳴ると同時に、わが軍が攻めこむまでもなく、江寧府の門はおのずから開く手筈となっている。
門が開くとともに、金陵江寧府はわれらのもとに下り、城下のひとびとはわが軍によって保護される。軍内では、総帥の下達のもとに、金陵の城民をだれひとり傷つけないように指示がゆきわたっている。すでに勝敗は決しているのだ。そこまで手筈が整っている状況を、南唐の国主やその近臣たちは、はたしてどれだけわかっているものかどうか。
(本文27ページより)
【購入方法】
『そえぶし 添田健一武侠志怪小説集』は雲上回廊より発行しております。文学フリマ等の即売会で直接販売をおこなっております。
また、下記の書店様で取り扱っていただく予定です(取り扱い開始日未定)。
・架空ストア(吉祥寺)
・盛林堂書房(西荻窪)
(50音順、敬称略)
電子書籍版も予定しております。
【リンク】
添田健一さんのブログ:西荻看書詩巻