中国、北宋の京師(みやこ)、開封(かいほう)に邸宅を構える
天下きっての詩人・書人の蘇東坡(そとうば)先生は、
どうしようもない墨好きで、
弟子やよそ様の名墨をちゃっかり奪ってばかり。
そんな先生をこらしめるべく、若き女弟子の子霞(しか)は、
その名墨をひとまず隠そうとする。
ところが、その墨にはあやかし(墨妖)がとりついていたから、
ますますややこしいことに。
おそらく彼女にしか見えない、
童女の姿にもなる不思議な墨妖と子霞はすぐに仲良くなってゆくが、
果たしてこのあやかしの正体は一体?
ガール・ミーツ・ガールなファンタジー。
『墨妖』
著者:添田健一
装画:山下昇平
装幀:高村暦(書籍工暦)
編集:秋山真琴
発行:雲上回廊
頒布:第十九回「文学フリマ」ウ-01,02 雲上回廊
日程:2014年11月24日(祝月)
価格:1000円
判型:A6(文庫本)
頁数:314ページ
部数:300部
【推薦文】
北尾トロ様と佐藤弓生様より推薦文をいただきました。五十音順にてご紹介させていただきます。
姿は消えても書は残る------。
読みすすむほどに、墨の精が愛おしくなってきた。
北尾トロ
尽きはてるまで。墨の精の吐息に、そのぬくもりに、くらくらします。
佐藤弓生
そんなわたしの目の前を黒い影が舞いました。蝶です。黒い揚羽蝶。でも、蝶にしては実体がありません。赤い斑点も見受けられず、黒一色です。手をあてている先には巾着。黒い蝶はひらひらとわたしの鼻先で合図するかのように舞っています。ついて来いといっているようです。わたしは目をぱちくりとさせました。
屏風の向こうでは、なおもいいあらそいはつづいております。とはいえ、もうこの先はみのりある話題は出てこないでしょう。まあ、もともとが、奪った、奪っていない、のいさかいですから、みのりもなにもありませんが。もう、中坐してもかまわないでしょう。蝶はなおも舞って、せかしているかのようです。
思うところがあって、山谷先生の声がするあたりを見つめます。それから、ふたたび蝶へと視線をもどします。わたしのてのひらに半挺の墨の硬い感触があります。つぶやいてみます。「はてさて」
音を立てずに、この場を離れます。黒い蝶はなおもひらひらと前方を舞っています。それについてゆきながら廊をしずしずと歩きます。世のつねならぬものに導かれるとは、なかなか不思議な心持ちがするものですね。
(本文50ページより)
「やっとわたしの望んでいるすがたであらわれてくれたわね」作法どおりに、濡れた墨の先端を湿らせた布で丁寧にぬぐいます。
「こんにちは」どこかたどたどしい舌足らずなしゃべりかた。それはそれでかわいらしくもあります。
「あなたと話がしたかった」立ちあがります。歩み寄ると、背丈はこの年ごろの女の子にふさわしい高さでした。
大きな黒目がきらめいています。「わたしも」
手を差し伸べます。「触れることは」
「できる。けど、手が汚れる」
「墨とはそういうものでしょう」墨妖の小さな手をとります。温かみのある指先に触れました。そう、体温があるのです。さらには、にぎりかえしてくる強さがありました。これが墨妖。
(本文79ページより)